適材適所、案外適当

そんな日々

見られていることを意識すること、あえて意識しないこと

博多行きの新幹線

6:00発15号車11列D席

 

早朝の、まだ人もほとんどいない中

D席を探すと既に、E席に人がいた

50代位のスーツを着た男性。

 

恐らくお互いに、このあたりの席なら

隣に誰も来ることなくゆったりと座れると思って取ったのだろう。少なくとも私はそうだ。

それなのに初っ端からお隣り合わせですか。そんな雰囲気が漂う。

 

「失礼します。」

そう言って隣に座ると

「珍しいです。隣に人が座るの。でも、こんな綺麗な人の隣で光栄です。」と男性。

 

 

この瞬間私の中で、これまでの経験が、私に「無視しろ」と呼びかける。黙って席に着く。

 

 

 

 

 

 

うんざりだ、もうこういうのうんざりしている。もしここで愛想よく返事を返した場合の、その後のルートも見えている。

 

 

どこから来たんですか?などと、とりとめのない、ティッシュみたいな薄っぺらい会話を何ラリーか繰り返して新横浜あたりに着いた頃、お互い無言になり、そして彼が新幹線を降りそうな名古屋あたりで連絡先を聞かれるのだ。

 

それに対して私は、「ごめんなさい、連絡先はちょっと。」と謝るのだ。

 

 

 

 

街中で安易に声をかけてきたり、情報を提示してくるあれこれにうんざりしている。その度にこちらは、脳を使い、考え、そして場合によっては、なぜか謝るということをしなくてはならない。

 

 

 

なので私は外を歩く時、関わる人以外とは目を合わせないようにしている。

 

 

こう書いていて自分で思うこととして、このようなことが挙げられる。お高くとまっていませんか?そして、別にそんなに人はあなたのことを見ていない、考えすぎですよ。今だって、その続きだって、連絡先を聞かれなかったかもしれないじゃないか。それなのに愛想を悪くしたりして、失礼じゃないか。

 

 

 

 

 

そんなふうに自問自答したりすることもある。ただ、もう私は必要以上に謝りたくない。

 

 

新作のアイシャドウでキラキラに囲んだ垂れ目メイクも、夏らしい透け感がかわいいシースルーのパンツも、毛先のワンカールも、ぜんぶぜんぶ自分のためだ。

私のため。私が、自分をすこしでも毎日かわいいと思えて、士気高く生きていくための外側。隙あらば、「自分なんて」と卑下してしまう自分がもう嫌だから、内側のための外側。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから私は新横浜を出たあたりで、ちょっとガサツな動きをしてみる。自分の中から出る雰囲気から女性らしさのようなものを引っこ抜く。

 

 

そうすると少しずつ、右に座っている彼の中から、私に向けての好意のようなものが抜けていくのが感じられる。

 

 

 

これでいい、これがいい。

 

 

 

 

 

見られていることを意識すること、そしてあえてしないこと、どっちも大事。どっちも大切。

 

 

 

 

 

そう思いながら、自分の空気感とか、操作しなくてもいい日が来るの、ずっと待っている。

 

 

 

こうして私の給料はカフェ代に変わる

 

右からたばこの匂いがする

白いブラウスを着た

ストレートヘアーの女性からたばこの匂いがする

 

近場でいいやって入ったカフェ

いつもはスタバなんだけど

近いからいいかなって

そしたら、たばこの匂い

 

30cmの距離、空気を伝ってこちらに来る

右の鼻から入ったそれが

私の右脳と左脳のあたりを漂い

そして左の鼻から抜けた

 

何だか頭が痛くなってきた

後ろの席では初老のふたりが

政治の話をこんこんと

 

気になる気になる

やっぱり私の居場所はスタバ

こうしていつも転々と

こうして私の給料は

いつもカフェ代に変わるのです